空には名前がない。
空には国境線がない。アメリカ空や中華人民共和国的空などというものはない。
しかしながら空はただただ故郷だ。たとえばかなしみが訪れたとき俯いて涙をこぼしたきみが、眉間に皺を寄せながらあたまを上げると、きみの世界は空に覆われているのが見えるだろう。それは凄まじいほどに強烈な懐かしさと果てしないものについての届かない哀しい憧れというふたつの感情を、きみに与えてくれるだろう。
空の色はその瞬間でしかなく、空とは瞬間が永遠に続く元素の羅列だ。かの羅列は、きみの肉体を構成している遺伝子の二重螺旋への郷愁を呼び覚まそうとしているのかも知れない。
きみは空を見上げる。あたまを仰け反らせ、そして目を閉じてもっと躰を反らせる、飛び込もうとする。空へ、飛び込んでゆこうとする。しかしそれはいつも不可能のうちに終わる。きみは人間であって、重力に反して飛べはしないからだ。それも空のなかに落下してゆくほどに力一杯飛ぶことなど全く以って不可能なのだ。
空は燃えない。空は破壊出来ない。空は消えない。いつかきみが死に屍体が腐り微生物に喰われて土になったとしても、空はずっときみの上空にある。きみがきみとしてこの世に存在していなくても、空はまだ在る。在るということ。その意味と儚さが季節折々につけ、雨雪になって人間の大地にそそぐ。