誘拐犯が、逮捕された。
殺人犯でもあるかも知れないと聞いた。
あたしは家の裏庭にある温室にいった。警察のひとが入ってくる前に。
逮捕されたのは、あたしのお兄ちゃんだ。
いつも一緒に温室で時間を過ごしたお兄ちゃんが、いなくなってしまって、あたしはひとりになってしまった。水遣り用のホースも、スコップも、がらりんと転がっていて、お兄ちゃんはもういない。留置場だか拘置所だかそんなところに閉じ込められている。あたしはくすんと鼻を鳴らして、温室の空気を吸い込んだ。湿度の高いぬるい空気だ。さみしいな、と思った。温室に並んだ鉢植えたちから伸びている子どもの腕が、虚しく空中をまさぐっている。お兄ちゃんはもう来ないから、鉢植えに埋まっている子どもに栄養や水を遣るひともいない。腕は何本も出ていて、沢山の子どもたちが土の下から何かを呼ぶように腕を出して手のひらや指先が弱く動く。あたしは落ちていた如雨露を拾って、少し水をかけてやった。腕は弱々しく、だらりと動かなくなった。
お兄ちゃんはいつもきちんと、養分と水を遣っていたのにな。特に奥の、紺色の鉢に入ったやつは大事にしていた。あたしはそのことがちょっと厭だった。特別扱いされている風だと思ったのだ。
「その子は赤が好きだから、まだ水は遣らないで」
お兄ちゃんはそう云ってあたしのあたまを撫でていた。赤い花が好きな子は、特別扱いされていて、妬ましい。不服なかおをしていたあたしのあたまをお兄ちゃんは軽く撫でるように叩く。お兄ちゃんはあたしに優しいのだ。
「その子は、一番最初に、埋めたんだよ」
「赤が好きな子なの」
「そうだよ。赤い花を髪に飾ったり、おやつにしたりしていたよ」
「おやつに、」
「そう。彼女は僕の妹なんだ」
「なんで、埋めたの」
「そのあと、悪い子どもたちをさらってきて埋めるのを、見せてやりたかったんだ。あの子たちは妹を仲間はずれにしていたから」
「それは、でもね」
あたしは云い淀んだ。
「あたしが校庭の花壇の花、食べたから、だからみんなあたしをハミっ子にしたの」たぶん、そうなのだと思いながらあたしは続けた。「でもね、それは止められないの。赤いのが好き。青いのは、ちょっと渋いから、苦手だったの。黄色いのはツンとするし酸っぱいの。それに……」
「赤いのは美味しかった、」
「赤いのはね、蜜がある。いっぱい、ある」
「どんなのがある、」
「ひなげしとか、アネモネとか、ポピーとかね……」
あたしは指折り数えながら話していた。
花を食べるのは、イケナイことだよ。
お兄ちゃんは云いながら鉢植えに掘った穴のなかにあたしをすっぽり入れてしまって、うえからスコップで土をどんどんかけて、埋めていった。あたしは手を伸ばして空中を必死にまさぐりながら、でももう生き埋めになって空気が吸えなくなるのだろうと水のような諦めに浸されていった。
あたしの躰が腐っていって、そこから草が生え花が咲いた。お兄ちゃんはあたしの鉢植えから念入りに雑草を抜いて、霧吹きを掛け、ときには花弁のなかに指を入れて触れた。雌蕊の先をまさぐった。
連続誘拐犯で殺人犯のお兄ちゃんは牢屋のなかから帰ってこない。
温室の一番奥の紺色の鉢の前に立つ。あたしがあんなことをしなかったら、子どもたちはみんなあたしを仲間はずれにしなかっただろうし、そうしたらお兄ちゃんは子どもをさらってどんどん生き埋めにしたりしなかっただろうに。お兄ちゃん、ごめんね。あたしは自分で紺色の鉢から伸びている赤い花の花弁を触り、ぐしゃぐしゃに潰した。あたしがここに埋まっていなかったら、何事もなかったのに。ごめんねお兄ちゃん。ごめんね。そう思うと本当に涙が出る前の最高潮のようにあたまの奥がぼうっとして、あたしはあたしの埋まっている鉢の花を、むしって食べた。
そんなかなしい気持ちに似つかわしくない甘い甘いあじがして、でもあたしはしっかりぐずぐずと歯で噛んでくるしく飲み込んだ。
警察が温室まで来たとき、あたしは赤いはなびらをくちから限りなく限りなくこぼして、咽せながら泣いていたと後で教えて貰った。温室にあった鉢植えは皆、外に運び出されて、生き埋めになっていた子どもたちは、もう永遠に、養分も水も貰えない場所にいった。お兄ちゃんがどうなったかは、あたしには今となってはもう、全く知るすべがない。
──(c) 泉由良 ──
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