手をひっかかれながら、イードは猫の頭をていねいに撫でた。 「棲むところが決まらないと、いきものは飼えないな。働いて買え」 「はたらく、って?」 「ここでならおまえも、働いて金を稼げるだろう」 「人間がすることだよ」 「ここではおまえは、人間だよ」 イードは不思議そうな顔でタイスクルを見あげた。 「おまえはここで、猫を飼ったり、鉢で草を育てたり、そういうことをする」 「アルシャは?」 「アルシャだってそうだよ。猫がほしけりゃ猫を飼えばいい、花でも木でも鉢植えにすればいい」 イードは立ちあがり、みみずばれだらけになった手でタイスクルのおおきな手を握った。 「アルシャは猫の代わりにおれを飼ってくれるかな」 「ばか。おまえは畜生じゃない、人間が人間と一緒にいるのは、暮らすというんだ」 「暮らす……? 暮らす」 少年の朱いくちびるが、舌ざわりをたしかめるように何度もその語をつぶやいた。 「タイスも一緒?」 「俺はロイデンスマルトに帰る」 「あの女の人と暮らすの?」 「そうだよ」 「――壊してしまうかもしれないのに?」 それまでの無邪気さをとりはらい、イードは紅い瞳に切実さをゆらめかせた。薄暗い不安にとりつかれている顔。いやなうつくしさだ、とタイスクルは思った。 踏みこんだ部屋に打ち捨てられていた少女の死体。口を血まみれにしたイード。問いただすまでもない惨事。――おのれの欲のかたちを直視したのだ、と、少年は明確な言葉を使わなかったが、打ち明けた。 「そうだよ」 沈鬱にならぬよう、タイスクルは注意して首を振った。 「一度、俺はおまえに言わなかったか。人間は欲を制御できるいきものだって」 「聞いた」 「だから俺はロイデンスマルトに帰る。サリィヤのいる家に帰る。――おまえも、アルシャといていいんだ」 強く手を握りかえして、引っ張る。 そこかしこの飲食店が店を開けはじめて、往来にはいいにおいがただよっていた。腹が減った、と思ったら、少年がおなじことを口に出した。 「ほら、いこう。金が入ったから、なんでも好きなものを食わせてやるよ」 にぎわっているほうへ、二人はむかう。 だれかと街を歩くこと、飯を食いに食堂へいくこと――生活を、これからこの少年がおぼえてゆけるように、タイスクルは願った。 男にあわせて少年が踏み出した一歩は、大きかった。
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