出店者名 エウロパの海
タイトル フリンジラ・モンテ・フリンジラ
著者 佐々木海月
価格 300円
ジャンル ファンタジー
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紹介文
「ねえ、ひとりで生きていこうなんて、思ってはいけないんだよ。
それは君が思っているよりずっと、簡単なことだから」
  
家庭教師の青年と、裸足の少年と、一羽のカラスのお話。
雪、融け、芽吹き、繁り、そうして、
季節が巡れば、やがて終わってゆく物語。

 コウは、裸足だった。
 初めてうちに来たときのことだ。それから、もう一年ほどになる。

「あの少年は、もう来ないのか」
 カラスが問う。
「来ないよ」
 僕は、そう答える。
「二度と来ないのか」
 カラスは、重ねて問う。
「来ないよ。二度と来ない」
「寂しくないのか」
「もちろん寂しいよ。でも、別れは寂しい方がいい」
カラスは、庭のハクモクレンの枝にとまっていた。二階の窓から顔を出すと、ちょうど目が合う。そこが、彼の指定席だった。
夜明け前の、一番寒い時間だ。
「早くにすまないな、あとり」
 カラスは、そう言って詫びた。あとり、というのは僕の名前だ。
昨日、日が暮れた頃に降り出した雪は、まだ弱く降り続いていた。手を伸ばせば、ふわりと手のひらに落ちる。そして、小さく刺すような冷たさを残して、消えていく。
 見下ろせば、冬枯れの庭は、すっかり雪に覆われていた。楓とハナミズキは葉を落とし、骨のような身体を晒している。楽しいことも苦しいことも、全部ぜんぶ終わったあとのような、ひどく寂しい風景だった。
 そういう中にあって、カラスがとまっているハクモクレンだけは、ひとつ、またひとつと、花を咲かせていた。
「あなたも、僕に別れを言いに来たんだろう?」
 僕は、カラスにそう問うた。
 ふむ、と、カラスは控えめに頷いた。
「なあ、あとり。私との別れも、寂しいと思ってくれるか」
「もちろん、思っているよ」
 カラスは、居心地悪そうに目を逸らした。
 彼が僕の名を呼ぶとき、ほんの少しこちらに寄り添うような響きがある。それはたぶん、あとりという言葉が、彼と同じ鳥類を指すものだからだろう。出会ったばかりの頃に意味を聞かれ、鳥の名前だと僕は答えた。生きているそれを見たことは、一度もない。図鑑を引っ張り出し、そこに描かれた精密な絵を指さすと、カラスはじっとそれを見つめて、言った。
――一度だけ見たことがある。一度だけ。すぐにどこかへ行ってしまった。
 胸元は枯野の色で、雪に映えていた。春には、遠いシベリアに行ってしまう。僕の名前に宿っているのは、そういう鳥だ。彼は僕の名前の中に、その鳥の姿を重ねているのかもしれない。
 僕らが出会ったばかりの頃、もう十年も前の話だ。


やがて旅立つ鳥たちの残した、ささやかな祈り
都会での仕事に疲れ、耳が聞こえなくなる、という症状に見舞われた「僕」は主人を亡くし、無人となっていた生まれ育った東北の実家へ身を寄せることになる。
そこで出会ったのはいつも裸足で女の子の制服を着ている少年、コウだ。

主人公であるあとり、少年時代のあとりの友人だった人語を介すカラス、生徒として彼を訪ねる少年コウ。
三匹の「迷い鳥」の過ごした儚く過ぎ行く時間を、静けさを潜めた筆致は穏やかに拾い上げていく。

共にいられた人たちと、なんらかの理由で離ればなれになっていくこと。
喪失をかかえたまま、互いの中から薄れていく記憶と共に、それぞれが違う場所で生きていくこと。
たとえ寄り添いあって隣にいたとしても、魂はそれぞれに「ひとりとひとり」であるということ。
寂しさをありのままに感じることが出来るのは、心のうちに目をそらさずにまっすぐに生きている証だ。
毅然とした孤独を内に秘めたまま互いの心の在り処を確かめ合い、時に照らしあうようにしながら共に生きた彼らの過ごした時間は、儚くも美しい。

抜き出してガラスケースの中にしまっておきたくなるようなしんと透き通ったきらめく言葉たちひとつひとつの紡ぐ軌跡の残すものは是非、本著を開くことであなた自身に確かめてほしい。
推薦者高梨來