本屋の床がぬかるんでいた。 潮の匂いがした。 私の欲しい雑誌はいつまでも見つからなくって、地面の段ボール箱に貧相に積まれた子供用の折り紙のくしゃくしゃになったビニールに嫌気がさしていたら、あなたはそれを買うと言って笑った。 飽きた私は「ゆみちゃん」にラーメンを食べに行こうと言い、あなたは自転車に乗って走り出した。 私を置いて。
目が覚めたら泣いていた。 潮の匂いがした。 遠くからゴウン、ゴウン、ゴウンと工場の音が聞こえて、私はベッドに体育座りで抱え込んだ膝に頬を付ける。海と工場しかないこの町では涙も同じ匂いで、うまく区別がつかない。
一両しかない電車がガタガタと線路を鳴らして止まり、私は解放される。三月の初めの昼下がり、冷たい風と温い日差し。駅長しかいない駅の駅長に定期券を見せたら、いっつも敬礼が返ってくる。ホームとほったて小屋みたいな駅を通り抜けて、家路を急がない私は、海へ向かう。
「りんちゃんどこ歩いてんの」
昨夜聞けなかった声に振り向くと、着崩した学生服に赤いマフラーが見えた。
「私の通学路だもん、ここ」
歩いていた堤防の上から言うと、彼はふうん、と言ってにやりと笑った。してやったり、と私は澄まして前を向く。作り笑いをしない彼の笑顔はレアだ。
「あんたは何してたの」 「りんちゃんのストーカー」 「は?」 「うっそ、散歩、というか寄り道、というか暇っす」 「あ、そう」
二時間目ぐらいにやっと戻った現実が、ぼんやりと濃くなる。
「イッタ、」
「ゆみちゃん」にラーメンを食べに行こうよ、と私は言う。自転車を引いて歩いていた彼はいいよ、と言って歩みを止め、私は道路と海を隔てる高さ一メートル三十センチの壁から飛び降りる。 気づくのは、私はあなたを笑わせたい。できるだけ多く。 視界の端でテトラポットが揺れた。
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