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ゆみみゆ「むしかご」 |
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「猟奇的・暴力的・性的表現を含みます」ということは、 まずエクズキューズとして書いておかなくてはならない。 これは推薦文だからだ。 推薦文は「おもしろいか」「おもしろくないか」一次元で表すものではないと思っている。 それよりは、二次元、三次元、あるいはそれ以上の多次元空間の趣向において 「こういうひとに向いてるよ」「こういうひとに読んでほしいな」と、 ベクトルを与えるもの、それこそが推薦文だと思っている。 さて、本書「僕はここから出られない」は、 どういうひとに推薦すべきであろうか。 「寄宿舎BLアンソロジー」と銘打たれているとおり、寄宿舎を舞台にしたBLだ。 BLとは、ボーイズラブの略、男性同士の、主には少年同士の性愛をテーマにした 文学の一ジャンルである。 かつて私もBLの文芸同人誌ばかりを集めた「BLフェア」というものを企画したことがある。 その際、購入された方は9割以上が女性だった。 BLは、女性だけが読むものであろうか。 仮に男性が読むとしても、少なくとも内包する女性性において好まれ、読まれるものだろうか。 これは反語である。 優れたBLはセクシャリティを問わない。 優れた小説がジャンルを飛び越えるのと同じくらい、当たり前のことだ。 もちろんBLによっては、限られた輪のなかでだけ好まれ読まれるものもある (決してそれが悪いというのではない、むしろ王道だろう)が、 輪を飛び越える例外作品もある。 この「僕はここから出られない」は、そのタイトルに反して例外作品かもしれない。 美しい書籍なのである。 男性同士の退廃的なつながりが美しい。 ゆみみゆ・宇野寧湖・まゆみ亜紀の三名の方が それぞれ短編を書かれた作品集なのであるが、 ひとりひとりが「美しい」という要素を解釈し、適切な表現を吟味して書かれたものであるように見える。 ゆみみゆ作品「むしかご」は、 ともだちの身体をちぎって自分にくっつける<むしとり>というあそびを耽美的に描いている。 宇野寧湖作品「湖畔の記憶」は、 ブーブリーという未確認生物にまつわる秘め事を 多重に組み込まれた伏線をほどきながら語っている。 まゆみ亜紀作品「スピラ」は、 スピラという器官を持ちやがて兄にその身体を捧げなくてはならない少年の懊悩を 衝撃的なラストシーンで飾る。 どれひとつとしてハッピーエンドはない。 だから「僕はここから出られない」なのだ。 物語は終わらない。 続きは読者に託されている。 この作品を選ぶひとは、きっとそれだけの審美眼を持っているひとだと思うから。 | ||
推薦者 | あまぶん公式推薦文 |