そんな、いるのかいないのかわからない相棒。――せめてかれをもっとくわしく見ることができたのなら、ぼくの孤独はやわらいだだろうか。エンジンの音すら響かない防音の行きとどいたこの舟で、りんりんと鳴る静寂はぼくの耳を鳴らさなかっただろうか。 ほしにいたころ、ぼくは孤独の音を聞いたことがなかった。はこは常に稼働していて、ぼくのほかの生命を生かしていたし、人工知能がいつもついてまわって世話を焼いたり、話しかけたりしてきたから。 人間はコミュニケーションを欲しがる生物で、正常に成長させるためには会話が必要だ。人工知能は人間がつくったから人間とのコミュニケーションにはたけている。ぼくは退屈を知らなかったし、一度も孤独だと思ったことはない。適度な寂しさと適度な干渉を受けて、ぼくは健やかに成長したのだった。 そうそう、このデータベースには、なにもぼくの相棒の情報だけが入っているわけではない。絶滅してしまった生き物や、人間の生態を映した映像、それからアニメーションだとか。画像だけではない、もしこの舟に乗りこんだものが盲目だった時のために、音声や振動言語による情報も残っているし、脳に直接的に情報を送り込むデバイスなんかもそろっている。 その中には生殖教育と思しきものもあって、人間の雄と雌が交尾をしている場面なんかもある。ほかの生き物の交尾と比べてみると、それはすごくまだるっこしくて、生殖のため、というよりはコミュニケーションのためにおこなわれるもののようだった。 生殖教育動画もそうだけれど、このデータベースが抱えている情報というのはすべてが人間向けだ。人間がつくったのだから当然なことだろうけれど、この舟は人間が生存することしか考えていない。 ぼくの相棒が、もしかれだけで、この船に乗せられたら、この膨大な情報を使うことなんてできないのだ。 人間というのは愚かな生き物だなあと思う。ほしの生き物たちが死滅していく未来に、それでも自分たちだけが最後にのこると思っていたのだ。もしのこった生き物が、人間とボルボックスじゃなくてミミセンザンコウとカエルアンコウだったらどうするつもりだったんだろう。
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