子どもの頃の記憶はあまりないが、弟が欲しいと母に言った次の日に、母がいなくなったのはよく覚えている。弟がいたらいいな、と思った。一緒にゲームが出来る、仲の良い、かわいい弟が。けれど、母と引き換えに欲しいとまでは思っていなかった。 引き換えたわけではない。ふたつとも失った。
だから、俺にとって弟というものはある意味でとてつもなく貴重で、ぜいたくなものだった。同級生に弟がいると聞けば、それだけで俺よりも恵まれた存在だと思っていたし、弟という立場の同級生はもはや神から祝福を受けた天使だと思っていた。そして小学生のとき、新しく弟が生まれる同級生がいた。誰彼の家に赤ちゃんが生まれたんだって、弟が出来たんだって、という話を聞くと絶望した。自分に決して与えられないものが、おんなじ小学生のあいつには与えられる。 売っているものならたいていは買ってもらえた。祖母は俺をよく百貨店に連れて行き、なんでも欲しいものを買ってあげると言ってくれた。しかし俺はたいていの場合、強く欲しいと思うものを選べなかった。けれど何も欲しくないと言っても祖母の方が困ることを察していて、欲しいものを探すことに苦労した。迷っているそぶりを見せながらおもちゃ売り場を歩き、しかし自分の家には一緒に遊んでくれる家族がいないことを感じていた。父は忙しかったし、母親代わりの祖母や叔母たちは家事をするだけだった。 母を許すことはそれほど簡単ではなかった。けれど、その痛みを忘れかけた頃、なんと弟ができることになった。大学二年生のときだった。
|