「ひとになれない、すべてのひとへ」 画面の中の彼女はそう言って、笑っていた。
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夏休みが明けて、二週間。夏の暑さは年々酷く気怠いものなっていくけれど、それに反して人々の活気が衰える兆しはなかった。 良いことなのか、悪いことなのか。街が成立してから二十一年。残念ながらその未来を予測できる人は、どこにもいない。少なくともこの街をこの先も維持していくには、革新的な何かが必要なように思えた。 四時間目の授業が始まって早々、安曇野陽花はクラスメイトの女子に、筆洗バケツの濁った水をかけられた。悪意か、否か。陽花は一瞬の逡巡の後、何も言わずに美術室を出た。 冷房の効いた教室とは違い、廊下には晩夏特有のねっとりとした生暖かさが大きな顔をして停滞している。夏服の白セーラーに染みた曖昧な色から、その空気へ。絵の具の臭いがじわりと滲み、漏れた。 まるで逃げるみたいでちょっと嫌だけど、人と関わるのはあまりよくない。 陽花は、わかっている、と小さな声で呟いた。 勉強が出来る。美術も出来る。音楽も、体育も、同じように。教わったことなら何でも平均以上にこなせる彼女は、人とのコミュニケーションだけがまるでダメだった。 『安曇野陽花の早期卒業は社会性の欠落により認めることができない』 同学年の学院生なら誰だって知っているし、わかっている。例えそうやって彼女の卒業を先延ばしにしたところで、その問題は解決されないだろうということを。 特別教室棟の外に出て、校舎と校舎の谷間から空を見上げる。 空は嘘みたいに青く、軽やかに澄んでいた。地上に澱む熱気は重いけれど、日射しは鋭く、陽花の立つ場所までしっかりと届いている。この調子だと、絵の具の水染みもすぐに乾いてしまうだろう。さあ、どうしようか。美術室を出る時に一緒に持って出たサマーカーディガンを肩に引っ掛けて、深呼吸をする。 吸って、吐いて。 正しい言葉を頭に浮かべる。 悲しくはないし、悔しくもない。 ただ、わたしみたいな生き物にムキになるみんなが滑稽で、おかしいのだ。 陽花はゆっくりと瞬きをすると、静かに歩き始めた。
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学院の敷地内で、人目につかない場所。 陽花が向かったのは特別教室棟から体育館を越えた先、北西の際にある西校舎だった。敷地内でも明らかに古いその建物は、使われることも取り壊されることもなく、もう随分昔に立ち入り禁止になったまま放置されている。
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