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その細長い空間で、人間がつくった文字で人間がしるした本を読み、人間が時間を切りとるために絵や文字をかくと知ればまっさらな紙に筆を走らせる。 |
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この形になるまでに十五年かかった、と後書きにある。 しかも、これは、外伝なのだと。 その言葉どおりの、ずっしりした重みが、この『幼神』にある。 何が起こっているかわからない場面でも、登場人物に迷わずついていける。 突然出てきた単語にも、まったく違和感を感じない。 巧さをこえて、文章そのものにつたゐさんの息づかいがあり、そこに描かれているのが、つたゐさんの魂そのものだからだろう。 こういう書き方ができる人は少ないし、力のある作家でも、すべての作品でこう書けるわけではない。 面白い。 ただ、今まで推薦文がなかったのは、仕方がないような気がする。 あらすじや世界観を説明したところで、この作品を語ったことにならない。ここに描かれている神は、人が神と呼んできたものそのものだ、などという陳腐な形容も似合わない。読みやすいし、面白いし、泣けるのだけれど、そんな言葉で簡単にくくってしまっていいものではない、と思ってしまうのだろう。 私は自分の中に、調伏しがたい人間を複数飼っていて、もう一人の私が、続き物の夢に出てきたりする。二十代の頃に「僕を書け」と命令してきた某キャラクターは、疑似家族を与えて放り出すのに何年もかかった。それですっかり退治できたかというと、別の形で再登場してきたので、今も仕方なくつきあっている。創作活動は、つまり業みたいなものなのだと思う。『幼神』を読みながら、それを思い出した。作品の底を流れている、一種の「諦念」が心地よかった。どうにかできるものと、どうしようもないもの――ほとんどは、どうしようもないのだということが――。 | ||
推薦者 | 鳴原あきら |