<略> 『満洲』を語る上で避けて通れない事柄といえば『終戦後の引き揚げ』と『シベリア抑留』である。その体験記はすべて壮絶で、目を背けてしまいたいものばかりだった。 これはホンの七十年前の日本人が体験した話なんだ、現実なんだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……と、言い聞かせ、大量の資料を読み込んでいった結果、情けないことに俗に『エア戦争被害者』状態と言えばいいだろうか。精神状態を悪くして寝込んでしまうこともしまうこともしばしば……。 今、現在も『艦隊これくしょん』の二次創作で、『シベリア抑留』を織り込んだ話(『玉音が響いたあとで』っていう間宮さんメインの本)を、資料を読んで吐いたり、物語を書きながら頭を打ち付けたりしながら製作している最中。そんな状態になるぐらいだったら止めろよ……という皆さんの声はごもっともではあるが、それはそれ、これはこれ。
そんな中、新しい資料を手に入れた。 満洲の交通会社が合同で作成した観光案内パンフレットである。昭和十三年発行の満洲の主要都市の観光地案内と写真、観光地を廻るバスの紹介が載っていた。 それは宝石箱を開けたかのようにまばゆくキラキラと輝いているように思えた。今まで触れてきた資料とは全然、違うモノだった。 ―――『引き揚げ』や『シベリア抑留』だけが『満洲』を語ることではないのかもしれない。 このパンフレットは七十年以上の時を経て、そんな当然のことを私に教えてくれたのだった。
というわけで、この本は暗く重たい小難しい話は抜きにして、かつて存在した『満洲国』のつかの間の栄華と謳歌する人々に、私の趣味で『艦隊これくしょん』を混ぜ合わせて想いを馳せようという、まさに『俺得』しかない合同誌というか、誰かと作らないと鬱になりそうだから一緒に作もらいましたという本。 なお、『ファッション感覚で『満洲』を語るなんて!』というお叱りや『人が死んでんねんで!』というクレームが着た場合は、貴重なご意見として受け止めた後、松花江に放流させて頂きますので、ご了承ください。
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