出店者名 銅のケトル社
タイトル ノーサンブリア物語 下
著者 並木 陽
価格 600円
ジャンル 大衆小説
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紹介文
「所詮我らには この小さな島の中で
 血を流し合うことしかできないのだ」

混迷を極める中世初期ブリタニア。
流浪の王子が旅の果てに見たものは――

七世紀ブリタニア。アングロ・サクソン七王国が覇を競った時代。

ノーサンブリア王国の勢いはとどまるところを知らず、諸国を
震撼させていた。

北の大地に凱旋したアゼルヴリスとアクハのもとに、
ブリタニアに野心を持つアイルランドの軍勢が迫る。

一方、大陸への亡命を図りドーヴァーを目指すエドウィンは
ケント王国に辿り着き、聖なる声を持つ神秘的な少女に出会う。

運命を分かたれた姉弟と、彼らを分かった男、
それぞれの結末は――

【装画:ykyn】

 眼前に開けた光景に、思わずアクハは感嘆の声を上げた。
 それは、まるで巨大な鏡のようだった。遠浅の海。広大な砂浜は澄んだ海水に薄く覆われ、赤紫の夕空とそこに浮かぶ鉛色の雲を、そっくり水面に映し出していた。
 そら恐ろしいほど幻想的な光景だ。砂丘(デューン)の上で馬を止めた妻の傍らに、アゼルヴリスが馬を寄せてきた。
「どうだ、美しかろう」
 ノーサンブリア王は、宝物を見せびらかす少年のように得意げに言った。
「これが余のバンバラだ」
 北海のほとり、旧バーニシア王国の都バンバラ。アゼルヴリスは、長く留守にしていたその本拠地に、新しい妻と家臣たちを連れて帰ろうとしていた。
「ここまで来れば間もなくだ。それ、あそこに見えるだろう」
 アゼルヴリスが指し示したのは、砂丘に囲まれて屹立する、蔦と苔に覆われた岩山だった。その頂に集落らしき影がある。
 アクハは夕日に目を細めた。
「攻めるには難しい地形じゃな」
「天然の要害だ。エオフォルヴィクの城壁に劣らぬぞ」
 アゼルヴリスは笑いながら言って、ゆっくりと馬を進める。暗褐色の髪を潮風になびかせ、アクハもそれに続いた。
 砂丘は半ば枯れかけた細い草に覆われ、毛皮でもまとっているかのようだった。時折、馬がつまずいて馬体が大きく揺れた。既に日が暮れかけているので、足元に気を付けなくてはならなかった。馬が一歩を踏み出すごとに、蹄が砂に沈み込むのがわかる。
 どこまでも続いていく砂丘。何もかも吸い込もうとする鏡のような水面と、遥かに横たわる水平線。赤紫に染まった広い空は、刻一刻とその色を深くしていく。圧倒的な自然を前に、アクハは自分の存在をひどく小さく感じた。
――美しいが、途方もなく寂しいところだ。一目見てもらえれば、なぜ余がブリタニアの制覇に乗り出したのか、きっとそなたにもわかるだろう。
 かつてアゼルヴリスが口にした言葉を、アクハは覚えている。なるほど、自らを駆りたてなければ、何か果てしないものに押しつぶされてしまいそうな場所だった。
(「第六章 バンバラの王妃」より)