見送りの僧侶たちに一礼し、馬上の人となった。姿勢を正し、金堂の瓦を仰ぐ。何度も何度もなぞるように、瓦を彩る蓮花の文様を見つめる。幼い頃から度々訪れたこの山田寺に次来るのはいつになるだろう。もう、来ないかもしれない。これが最後になるのかもしれない。回廊を巡りながらよぎった考えが、頭から離れない。 すっ、と後ろから涼やかな風が吹いて首筋を撫でた。顧みれば、阿部へと続く道から吹いてきた風。阿部の向こうは、海石榴市(つばいち)の港……広がる思いを断ち切るように襟元を締めて、馬の腹に脚を当てた。供人たちが揃うのを待たず、慣れた道を戻って行く。 山田寺からゆっくりと坂道を下り、嶋庄(しまのしょう)をそして飛鳥川を目指す。新益京(あらましのみやこ)には幾筋もの川が流れているが、この飛鳥川は京を大きく横切り潤す川である。京のある藤原の地から飛鳥川の上流を目指せば、幼い頃を過ごした古里の明日香に戻るのだ。進むにつれて、だんだんと狭まってくる川幅。 彼女は、飛鳥川の側で女たちと若菜摘みをしていると聞いた。新しい年、新しく迎えた春を喜び寿ぐ若菜摘み。彼女が若菜摘みをしているのは、もっと上流の飛び石の辺りだろうか。せせらぎを、楽しげに囀る鳥たちの声に耳を傾けながら坂道を行き飛鳥川を遡る。 しばらく馬を進めるとせせらぎに混じって女たちの声が聞こえてきた。声に向かって行くと案の定、彼女と側仕えの女たちの姿が見えてくる。馬の脚を緩めて若菜摘みの様子をゆっくりと眺めながら近づく。年嵩の女たちは若菜を摘みながら賑やかに歌い、若い女たちもそれに和して楽しげに笑いさざめいている。皆一様に春を迎えた喜びに浸って華やいでいる様子は、遠くから見ていても実に心地よい。 彼女が立ち上がり、持っていた籠を側に控えた年若い娘に渡すのが見えた。若草色の裳から下げた鈴の飾りのひとつと共に。何事かを娘に言いつけて、ふと、彼女がこちらに視線をやる。あっ、と短い声を上げると裳裾をからげてこちらへ駆けてくる。帯から下げた、鈴の軽やかな音と共に。 「早かったのね、氷高(ひだか)。こちらに来るのはもっと遅くなってからだと思っていたわ」
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