【サンプル】
東京都新宿区某所。路地裏では据えた匂いがして、ビールの空き瓶がいくつも転がっている。羽鳥楓(はとりかえで)は拳銃を握りなおすと、静かに息を整えた。脳髄からアドレナリンが噴き出すように出て、一気に視界がクリアになった。日の当たるビルの壁に影がサッと影が入る。考えるよりも先に足を肩幅に開いて撃鉄を起こし、銃口を向けて引き金を引く。ビシュッと鈍い音で鉛玉が飛び出すとコンクリート壁に埋まった。銃弾に 怯んだのか、アロハシャツを着た男がその場に尻餅をつく。火薬の匂いが立ち込めた。発砲の反動で手が痺れている。背後から上司の仲代の鋭い声が飛んだ。 「藤波、確保だ!羽鳥、補佐にまわれ!」 紺のスーツを翻して男に先輩刑事が飛びかかる。痩せ細った初老の被疑者はガッと首をあげると掠れた声で叫んだ。 「ふ、震えろ!」 そのまま、がっくりと崩れると地面に叩きつけられた。羽鳥は周囲から追撃者がないか素早く確認して男に近づくが、他には誰もいないようだ。藤波がウンザリした顔で、男の首筋に手をやって言う。 「仲代さん、死んでます。またこの〈震える男〉のパターンだ」 よれたスーツの仲代は「そろいもそろって、潔いもんだな」とつぶやく。 「検死に回すか。いつも通り、奥歯に仕掛けた毒物で自害ってわけだろうな」 「〈震える男〉の事件は、今月に入ってもう二件目ですよ。毎回、俺たちが追い詰めると、震えろと叫んで自殺する。ヤクの売買に命かけるっておかしいですよ」 藤波は念のため男に手錠をかけ、パンパンとパンツの埃を払った。百八十五センチの長身に、栗色の長い巻き毛を垂らしている。整った目鼻立ちはまるでモデルのようだ。もう四十近いはずだが、機敏な動きで凶悪犯も確実に取り押さえる。 彼と同じ警視庁捜査一課特殊班に配属されていることは、今も信じがたいことだと思う。この仲代班は、一般の刑事と違い銃の常時携帯と、個人判断での発砲を許されている。通常捜査では進展が見られない、異常犯罪に対応するための特別なチームなのである。
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