このところ、サラ=フィンクはブリザードを抜いていない。 彼は、洞窟を出て近くの岩陰に歩きながら、唇を歪めた。あの、ミルシェを拉致した冒険者三人を刃に掛けてからこっち、一滴も人の血を浴びていないブリザード。彼には、そのブリザードの不満の燻りがわかっていた。何しろ、同行者が居なかった頃は三日に上げず新鮮な血を啜っていたのに、今回などはもう十日以上も血に有り付けないでいるのだから。 (俺は……あの娘と出会ってから、変わってしまったんだろうな……) 彼は、自分が“魔剣士”となってしまってからというもの、極力他者と心を通わせまいと努めてきた。心を通わせた相手をブリザードの餌食にしてしまわないという保証はなかったからだ。現に彼は、心惹かれた女性にブリザードを打ち下ろして無残に死なせた苦い思い出を持っている。もう二度と、あの時のような思いはしたくなかった。だから、ずっと独りで、ひとつ所に留まることなしに、歩き続けていたのだ。 それが、あの日、彼があのサラ=フィンクだとわかってさえも一緒に連れてゆけと泣きながら迫ってきたひとりの娘を受け容れたことで、変わってしまった。 サラ=フィンクは、元来、冷酷無比でもなければ、残虐非道でもない。その無愛想も、ブリザードを握るようになってから、自分を鎧う為に、そして己の繊細な心を他者の目から隠す為に、身に付けたものだ。たとえ成り行きとはいえ、一旦懐に飛び込んできた相手を平然と手に掛けられる男ではなかった。 ミルシェと名乗った娘を、第二のエルシースにはしたくない。 その思いが、それまで“如何に自身の心と折り合いを付けつつ効率良くブリザードを満足させられるか”のみに意を払って流血の彷徨を続けてきたサラ=フィンクに、“ブリザードの魔性を魔道の技で抑える手立てはないか”という考えを抱かせるに至り、“魔道王国”ルーファラ行きを決意させたのだ。 しかし、幾ら彼の心持ちが変わろうとも、ブリザードの魔性が変わったわけではない。相変わらず血を求め、隙あらば彼を支配して殺戮の宴に引き摺り込もうとするブリザードを抑える苦労は、並大抵のものではない。その上、ルーファラに行ってもどうにもならぬのではないかという不安も拭えない。 (それでも……何もせずにいるよりは、と思ったから、俺は此処まで来たんだ)
――「暗黒魔道士の事情」より
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