ヘッドフォンから流れてくるのはやはり兄の音であり、俺はどうやら今日も朝まで眠れそうにない。何度も聴いたはずの音が変わらず心臓を揺さぶってきて、額の裏側のあたりにくらくらと白い光が明滅する。内側から、真ん中に集まる血液からすべてが融かされていくような恍惚に襲われて、自分がいまいる場所の色も温度も感触も、すべてが混ざり合って均されて、ただ単色の空間の中に音だけが響き渡る。自分とたたかうことのない音、非人称の概念、俺たちにとってのいっさいのほんもの。坂川洋という人間がいて、彼が坂川の長男で俺の兄であった事実は、この音の前ではひどく無力だ。洋は、ひととしてそれだけで存在することができなかったのだろう、と思う。才能という純粋な概念、それが表象する限りなく形而上に近いところにある美しさ。彼が肉体を持ったひととしてかつてこの場で呼吸をしていた事実には、意味があったのだろうか。兄は悲しさも苦しさもなにひとつ知らずに生きて、絶望も虚無も覚えぬままにこの世を去った。けれど、彼の歩んだ道筋に人生という名前を付けてしまうなら、それは、それだけはひどく悲しいと俺は思う。洋はその純粋で概念的なまでの才能をもってして、ありとあらゆることを許されていたけれど、ひととして悩み苦しみもがきながら生きることだけは許されていなかった。彼の音楽に人称がないとは、つまりそういうことだ。偶像化するまでもない。そもそも、兄は捨象されうるものをもたなかった。
「おぼえていますか」より
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