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一、アミューズ より |
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「bonologue(ボノローグ)」というタイトルの本である。 bon(おいしい)+ monologue(つぶやき)で、ボノローグ。 煩悩の記録(ログ)とのダブルミーニングでもあるらしいが、 要は美食の体験をつづったエッセイである。 飯テロ――。 数ページめくったところ、私の脳裏にこの言葉がうかんだ。 飯テロとは、ウェブ上に美味しそうな食べ物の写真をアップし、 それを食べられない閲覧者たちの食欲を無慈悲にそそる行為である。 この「ボノローグ」という本は、文章による飯テロなのではないか。 午後11時前のおなかをすかせ始めた胃袋がとっさにアラームを鳴らした。 その不安は杞憂に終わった。 確かにつづられているものは大変美味しそうな美食体験記で、 間に挟まれている華美な料理の写真も、 食欲をそそるには十分なものであるはずだった。 しかし、これは飯テロではない。 何故なら私の胃袋は、この文章を読むことによって満たされたからだ。 エッセイの形を取っている文章である。 正岡さんの軽快な語り口が心地よく、ページをめくる手を急かしてくれる。 アミューズ、前菜、お魚料理、肉料理、デザート、小菓子と、 供される料理によって正岡さんの描写も変わる。 ときに素朴に、ときにかしこまって、ときにアバンギャルドに。 それはきっと料理を食べたときの正岡さんの感情そのもので、 読者は文章を読むことにより、それを追体験する。 気がつけばその味すら感じられる――は言い過ぎだろうか? 必然的に 「いのちには必ず背景があります。背景はモノにものがたりstoryを与えます」 という作中の言葉が説得力を持つ。 食事する行為は物語であり、文章を読むことも物語であり、 そのふたつが「ボノローグ」で重なる。 この本は、「読む食事」だ。 読み終わると、美味しいものを食べたいと思う。 食べることを大切にしようと思う。 そういうふうに読後変われることは、エッセイの醍醐味のうちのひとつだ。 毎日の食事がいつもより彩りづいて見えるようになる、美食の本だ。 | ||
推薦者 | あまぶん公式推薦文 |