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ぼくの犬が死んだ。 |
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スノードームに降る雪を見上げているような、まばゆい煌めきに包まれた言葉たちで綴られる短歌・俳句と掌編小説 「わたし」と「あなた」の間で澱のように揺らめく名づけ得ない感情のひとつひとつ、綺麗なだけではない、危うく鋭い、鋭利な刃物のような研ぎ澄まされた感情のひとつひとつが閉じ込められた物語。 ここでつづられる「異性愛」ではない、さまざまな愛の形のあり方はJUNEという形で括られるに相応しいものなのかな、と感じました。 噂の「大惨事」黒い樹の子どもじみた横暴さや執着の残酷さを照らし出す筆致、感情の奥に眠るものを精緻な筆致がありありと照らし出す文章は冷たくて鋭く的確に読み手を捉えてくるよう。 兄が子を授かる「臨月」での猫の死、「僕の犬が死んだ」での愛犬クロの死など、全編を通して喪失とそこからまた新たに生まれゆく新たな感情にまなざしを向けられているのかな、というのが印象に残りました。 「まぼろしの塔」の出会うはずのなかったのに同じ場所から世界の果てを見つめていたふたりはビルディングラブでロマンスだと思います。屋上から見渡せた世界と、その喪失の儚さ。「大人になるってどういうこと?」という少年の届くことのなかった言葉が胸にしん、と突き刺さりました。 永遠に閉じ込めることは出来ないけれど忘れたくはなかった。そんな風にしていくつもの夏を通り過ぎていった「いつかの誰かの追憶」のような肌触りにしん、と染み入るような心地になりました。 冬銀河だれのためでもない光 (Doppelgänger) 光とは君にまつわることすべて四月の風に吹かれる産毛 (いわゆる青春) 好きな言葉がたくさんありましたがこの二句が好きです。 取り戻せないこと、を胸にただ過ぎてゆく時を、それでも歩こうとする背が見えるようで、凛としたたたずまいはとても優しい。 ※実駒さん曰く共依存DVカップルの別れを描いたという「いわゆる青春」のやるせない美しさについてわたしと小一時間語り合ってくださる方を募集しております。笑 読み終えた後に胸をよぎるのは、「喪った」ことに気づいたことで手に入れた永遠もあるんじゃないかな、という思い。 あわいきらめきに包み込まれるような一冊でした。 | ||
推薦者 | 高梨來 |
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いつか「あまぶん」を6月に開催する機会があれば、 「JUNE BRIDE」というサブタイトルをつけてやってみたい気持ちがちょっとある。 もちろん「あまぶん」は「JUNE」ジャンルだけのイベントではないし、 私個人のイベントでもないから実現はしないのだろうけども。 6月はジャンルとしての「JUNE」を想起させるほど、美しい季節である。 多少湿気てはいるけども、それも寂しさの表現だ。 私の台湾人の友人に「JUNE」という子がいた。 彼女も美しい女性で、六月の中国語読みで「リョウユエ(liuyue)」と呼ばれていた。 もちろん、リョウユエは腐女子であった。 とにかく「あまぶん」には良質の「JUNE」が多い。 「あまぶん」では「JUNE」を「異性愛ではないもの」と定義しているのだが、 各出店者・各作家がそれを個々に解釈し、吟味して、 それぞれに自信の持てる「異性愛ではないもの」を出してきているように思える。 夜間飛行惑星(美しい出店者名!)から頒布される「ノスタルジア」も、 そういうJUNEのうちのひとつだった。 俳句・小説・短歌が交互に楽しめる、とてもおいしい書籍である。 いずれにもそれぞれの魅力があり、 読者の好みを刺激してやまないのであるが、 特にここでは短詩(俳句・短歌)に注目したい。 面白いのは、それぞれにテーマが与えられている点だ。 バレンタイン・村を焼く・明日、世界が終わる・ノスタルジアなど、 見るからに魅力的な食材がテーマとしてでんと並べられ、 それが実駒さんによって、さまざまな歌や句として料理される。 作品が料理なら、組版は盛り付けみたいなものだ。 余裕をもって美しく繊細に設定された組版により、 料理としての作品はいっそうこの効果を増す。 私はこの書籍を読んで、おもしろい、よりも先に、おいしい、という感想を持った。 食卓というものは、「JUNE」において大切な要素のひとつらしい。 異性愛ではないもの、を交わした「JUNE BRIDE」たちが最初に食べる食事も、 やはりこの「ノスタルジア」のように、おいしく、多少ものがなしいものなのだろうか。 そんなことをノスタルジックに想像させてくれるような一冊だった。 | ||
推薦者 | あまぶん公式推薦文 |