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メタルでできた翼が冷たい。今夜は風が穏やかだ。眼下の高速道路に車の灯りは見えない。道路のほど近くにのっぽの樹を見つけて、てっぺんに掴まる。次の風まで休憩。 |
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物語はこんな書き出しで幕を開けます。 「メタルでできた翼が冷たい。」 短い中にもその翼が少女たちの生まれもったものではないことと、後から設えられたものの異物感を示唆していて非常に印象的です。 (「金属」じゃなくて「メタル」なところがすごく好きです。無機物なのにぎりぎり無機物ではない感じがあるような、翼に対して最低限の親しみがあるように感じました) 少女たちはなぜ飛ぶのか、という疑問に対しては、一応は答えが与えられています。翼は大人たちによって与えられたもので、「同じように飛んでいる者を見つけたら報告せよ」と命令されているのです。 しかし、それがいったい何者なのかについては、少女たちには知らされていません。 翼といっても風に乗るための形状が与えられているばかりで、うまく風に乗れなければ海に落ちてしまいます。 事実、たくさんの少女が海へ落ちていくのですが、それでもなお大人たちは少女たちを飛ばせるのです。 「ただ前だけを見て。後ろを見たら死んでしまう」 少女たちにとって、翼とは何なのでしょうか。 空を飛べる力。大人に押し付けられた重荷、異物。 少女が大人になったら取り払われるそれには、多面的な寓意が込められているようにも思います。 私には翼を持たされた少女たちのすがたは、自分にも思い当たるふしがあるような気がしました。 私がこの世界の少女だったならば、きっと何の疑問も持たずそこそこ上手に楽しく空を飛び、後ろを見て落ちることもなく、また落ちていく仲間たちに特別な感傷も抱かず、そのまま大人になったでしょう。菜知にも叶にも、請海にもなれないタイプ。 いまはもう陸にいるから後ろを見られるけれど、そのときは前しか見ていなかったし、振り返る必要も感じていなかったな、とかつて少女だった私は考え、物語が自分の人生を触りに来る感覚を嬉しく思いました。 物語は他にもさまざまな要素から成り立っており、多様な読み方に対して開かれた作品だと感じました。 中盤からは驚くような展開も待ち受けていて、即興的な味わいも本作の醍醐味です。 寓意を探らなくても、書き下ろされた「光のこうざい」によってまとまったひとつのSF作品として楽しむことができますし、木村さんの文章それ自体がしみじみと味わい深く鑑賞できるものだと思いました。 | ||
推薦者 | 泡野瑤子 |
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人工の翼を与えられ飛ぶことを強制された少女たち。 大人の道具である彼女らの翼はあまりにもお粗末で、死から逃げて空を目指し、叶わずに海に墜ちてゆく。 空にも海にも、大人たちが支配する陸にも、彼女らの安住の地はない。 その哀しみと、飛ぶことによって僅かな間だけ得られる自由が対比され、吹けば飛んでしまうような自由への憧れが、将来を夢見ることとともに摘み取られてゆくのが痛ましい。 けれど、生命というものが軽すぎる世界だからこそ、生を渇望し、願い、思う力がくっきりと輪郭を持って立ち上がってきます。 請海や叶らが繋ぐ糸はあまりにか細く、けれども明日にしか生きる世界はない。「後ろを見たら死んでしまう」のです。 切り取られた断片を重ね連ねて光を導くような物語でした。 | ||
推薦者 | 凪野基 |
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メタルの翼で夜を飛ぶ少女たちの物語。 人間の無責任で無邪気な「空を飛びたい」という願望を、ひとつずつものがたりに落とし込んで解体し複数の掌編は、絡み合い折り重なりあって大きな物語の影を立ち上らせる。 「空を飛ぶこと」は人間が進化の過程で切り捨てた可能性だ。人間はその「可能性」に気づくくらいに進化してしまった。知恵を、得てしまったのだ。そして、その知恵ゆえに、肉体を進化・変化させるのでなく、乗り物や後付けのパーツで拡張して「進化」せずとも新しい可能を手に入れた。 物語の登場人物は、着脱が可能になった人間の姿をまざまざと見せつける。それは身体の生き物としての適合を無視していて、あきらかな弊害が生じてくるものなのに。 それでも、人間は求めることをやめない。哀れで、罪深いと思う。 最終章「光のこうざい」、すべてをこどもらに丸投げしてしまうことが、進化でない発達を遂げた人類の功罪の、極みにまで行き着いた無邪気の邪悪と可能性への無責任な期待の重さと言ったら。 文明への静かな反論を見る気持ちでいる。 最後に、『輝く瞳に夜の色』のときも感じたが、木村さんの文体や描写は平時の場面ですら鬼気迫るものがあり、文字を追う目が、気づけば物語世界を映像として受け取っていることに気づく。ページを繰るのではない、ただ、私は、彼女らの飛ぶ夜を、その静謐な空気として受け取っているのだ。 | ||
推薦者 | 孤伏澤つたゐ |