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「それじゃあ、行ってくるよ」 |
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グロテスク という言葉を聞くと日本人は「気持ち悪い」であるとか、 人によっては「スプラッタ要素」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。 だけど実はこの言葉、西洋美術史という観点から見るともう少し具体的な意味がある。 それは、「人間の体と動植物の形がまじりあった装飾様式」。 本来確固たる形を持った人間の体が、端のほうから蔦や獣の手足に侵食されていく。 自分がわけのわからないものになっていく。溶けだされていく。 そんな本能的な怖れであったり、嫌悪感であったり、そういう感覚だけが強く残り、 現在に至る「気持ち悪い」という意味に転じたのではないか。 と個人的にはぼんやり思っている。 本作「よるべのない物語」は、 そういう意味での「グロテスク」な作品だと紹介させていただきたい。 これはまったく、ディスりではないですよ、キダさん。 本作品は五つの掌編から成る短編集で、キダさんによる挿絵もついている。 それぞれの物語において、「何かとまじりあうこと」が描かれている。 夜という大きくて形のないものと、トカゲや鳥、花という生き物たちと、「自分」がまじりあっていく。 外側から染み込み、内側から溶けだしていく。 この本の中では、夜空や動植物たちは決して人間の背景ではなく、限りなく対等なものとして存在している。 畏敬の念すら感じさせるその在り方は、ひとえにキダさんが持つ、自然への深い愛そのものなのだろうと思う。 ちなみにキダさん、インスタレーション*のご経験もあるという。 インスタレーションにおいて迫ってくるのは空間そのものである。 そこでは「体験」が強制化される。 そこにいるだけで、自分も作品の一部であるかのような気までしてくる。 この「よるべのない物語」も、そんな力を持っている。 私がこの本を手に取ること、ページをめくること、この手の動き、 それも含めたすべてがキダさんの表現であるように思えてくる。 この本には空間を形作る力がある。 本という形をした、立派なインスタレーション作品だ。 そして私は、読者は、この本に取り込まれていく。 外側から染み込み、内側から溶けだしていく。しずかに、まじりあっていく。 *ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、 作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、 場所や空間全体を作品として体験させる芸術。(Wikipediaより) | ||
推薦者 | キリチヒロ |