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二 祈りのまねごと |
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主人公の郡司は、半分だけ血の繋がった姉との歪んだ関係から逃げ出し、海辺の温泉街で働いている。自分の意志で離れたのに、姉に捨てられたという感覚に苛まれ、姉と過ごした日々のことばかり思い出す。 「姉さんがおれの名前を呼んで、息だけで笑います。合図だ、と思いました。それはもう段取りで、流れとしておれは姉さんに口づけました。頬は冷たいのに、口のなかはぬるりと熱いのもいつものことです」 二人の関係が端的に伝わってくる文章に、ほうっとため息が出る。 温泉街での出来事は、姉に報告するような文体で語られる。「斜陽」の姉への手紙がずっと続いていく感じ。郡司はまるで自分一人では思考出来ないかのよう。 暗い主題と雰囲気に、繰り返し出てくる少女やクラゲのエピソード等、良くも悪くもあまりに文学的で、正直、結末までこのままだったら物足りないと感じていた。 でもおかさんに限ってそんなことはあるまい、とも。 そうしたら、中盤で日本語ペラペラの外国人アランが郡司を口説き始めた! 待ってましたーっ! 「そしたらもうセックスしかないよ。たとえばおれと郡司が、昔昔のおとぎ話に出てくるような騎士とかで剣と剣で語り合えるのならそれでいいだろうけど、ここは日本でしかも二一世紀だからね」 そうですとも! アランは好きじゃない人ともやれるのではなく、みんな好きだから、男も女も関係なく寝ちゃう。身勝手なラブ&ピースによって、昭和的陰鬱を破壊する。そう来なくっちゃ! 海辺で嘔吐している郡司を見かけたアランが、 「口ゆすがせてあげたいけど、おれビールと氷結しか持ってないんだよね」 と言う場面が好き。すごく彼らしい。 ガイジンであるアランがきっかけになってゲンバクは落ち(暗喩)郡司の戦いは終結する。 「姉さん、あなたときょうだいになりたかった。口づけや愛撫でごまかさずに、言えばよかった。おれはことばというものから逃げすぎた」 話すというのは誰とでも出来る行為で、口づけや愛撫は特別な人としか出来ないことだから、口づけや愛撫より話す方が簡単で軽いと、私は思い込んでいた。でもそれが反対になる関係もある、いや、本当に大切なことを話すのは、セックスするよりずっと難しいことなのかもしれない。 | ||
推薦者 | 柳屋文芸堂 |
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映画と演劇の違いとは何だろう。あるいは、小説と戯曲の違いとは何だろう。 思うに、発信者と受容者というふたつの対極する立場に焦点を当てて考えるとき、発信者が受容者に対して作品を「差し出す」のか、もしくは発信者が受容者を作品に「引きずり込む」のかという違いではないだろうか。前者が映画・小説、そして後者が演劇・戯曲である。演劇は映画や小説と比べ、役者と観客の距離が近く、そしてリアルタイムで繰り広げられる。一時停止も巻き戻しも早送りもできない。観客は演じる役者たちと同じ瞬間を強制的に共有させられる。また、世界が舞台上で完結するため、人物たちの役割がはっきりしている。 本作品「ぎょくおん」は、小説の形をした演劇作品であると思う。読者は主人公、郡司の独白形式の一人称を追う。それはまるで声に出して語られているかのようだ。また、登場人物の配置からも伺える。演劇には物語の始まりと終わりで人物に何らかの変化を持たせるというセオリーがあり、これは主人公である郡司が負っている。そしてその郡司を取り巻くアランと七美は彼に常に郡司に外部からはたらきかける役割を負っており、それが彼に変化を促している。ゆえに、アランと七美には変化という責務はなく、アランに関してはまるで神の降臨を思わせる(ちなみに私はアラン役にはニールス・シュナイダーがぴったりだと思う。気になった方はグーグル先生に聞いてみてほしい)。読者は郡司の深淵に引きずり込まれていく。私はこの作品を2時間ほどで読み切った。それもまた、限られた時間で勝負する演劇を思わせる。 私だったら、この作品をどう演出するだろうかとずっと考えていた。椅子が置かれた舞台に、役者たちを座らせる。座らせたまま、喋らせる。「姉」だけは観客に背を向けさせる。その周囲を、「死」の概念を表象したダンサーが誰とも目を合わせず、静かに動き回る。時折舞台は暗転し、焦土と化した街がフラッシュバックのように映写され、爆音が轟く。 終章、郡司はようやく、そして初めて「死」と目を合わせる。そのクライマックス、彼がどう「死」と対面するのか、その瞬間をぜひ見届けてほしい。 | ||
推薦者 | キリチヒロ |
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過去にTwitterに感想を流したのですが、改めて考えてみると「郡司が生まれ直す物語」と言えるのでは、と思いました。 姉から逃げるようにして東京を離れ、海辺の鄙びた温泉旅館で働く郡司。射精障害、薬の副作用による乳汁分泌、ポケットの中に入ったままの飴玉、くらげを飼ったこと、メッセージ性のある要素をたくさん持つ魅力的なキャラクターです。 彼の語り口調は丁寧であるけれど徹底した客観の果ての「他人事」のようで、文中にも郡司自身がどう思ったとか、どう感じたとか感情の表現があまりありません。郡司は物語世界における目の役割しかしていないのではないかというほど、透明な存在です。 幼少期から、郡司のおかれた環境はかなり過酷で、自己を守るための客観なのかなとも思います。生への執着が薄く、かといって積極的に死を選ぶでもない、まさに生きるための戦争の最中。逃亡先でも姉に似た「生霊」と呼ぶ少女の出現など、彼の戦いは続いて、そして銀色のゲンバクによって生じたグラウンド・ゼロとラジオによって、終わる。 銀色のナイフ、それが生み出した涙と熱。しにたくないよ、という、生命の本質を口にする郡司。短いながら、クライマックスのシーンは彼が押さえつけ、表に出ないよう閉じ込めていたものすべてが迸り出るようでした。これが「生まれ直す」と感じた理由です。 無駄な要素がなく、全てのピースがあるべき場所にきちんとはまる、そんな爽快な結末へ着々と読ませる力のある物語です。二十章と、ラストを読んで、ああ郡司はちゃんと取り戻せたんだ、と詰めていた息をようやく吐ききれた気分でした。 郡司が辿り着いた「平和」がいかなるものか、ぜひたくさんの方に見ていただきたいです。 海辺とかくらげは生の際、生まれ損なったものを想起させます。それから、産む性ではない郡司がアランに渡し、渡される火=熱。最後に受け渡された火こそ、ヒトが生み出したものじゃないかと。読み終わって本を持つ手がぶるぶる震えました。すごくすごく良かったし、オカワダさんが舞台化したのを見てみたい。そう思います。 | ||
推薦者 | 凪野基 |
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東京から逃げるようにして海辺の温泉街に来た郡司と、彼にまつわる不思議かつ奇妙な出来事。 主人公郡司の視点になりきって一気に読んでしまいました。 BL要素あり、しかも雄っぱいものと聞いていたので、ついついそんな期待をしてしまったけど、淡々と現在を受け止め、不思議な出来事や過去に戸惑う「青年の半生」が描かれているなぁ、というのが第一印象。 郡司が作中で吐いてしまった、食べた覚えのない「クラゲ」や、姉の生き霊だと思っていた少女の正体など、暗示的な部分はあるけれど、そういうのが分からないまま読んでも問題無く面白かったです。 ラジカセを捨てるときに「生き物を捨てるような気持ち」になったり、姉に「かわいそうな子」と言われ続け、姉とセックスこそしていないけれど、ほぼ情夫のような(郡司も言っているように、ヒモというのが正しい)ふれ合いをしていたり、薬の副作用でしょっちゅう左胸を気にしなくてはいけなかったり。 郡司は周りを見えなくしよう、鈍感であろうとしているけど、とても繊細な感性の持ち主なんだなぁ、と思います。あと、脇役との絡みも面白かったです。大学生七美や、神父・バンド経験のあるアラン。特にアランとは最後のほう、「乳汁を出さない自分に早晩興味を失うでしょう」と別れを匂わせる文があっただけに、おかさんから今後もこの二人は関係を保つと聞ほっとして嬉しかったです。 BL的な読み方ではアランがヒーローに相当します。 「マジレスされた」と言ったり、郡司が切りつけられた時に神父対応をするアランがお気に入りです。 お話しの終わり頃「ホテル行こ」と言ったあと、「あ、言う順番間違えちゃった」というアランもとてもかわいいです。これを言われて堕ちない受けはいないでしょう・・・・・・! テキレボアンソロ三冊目「猫」に寄稿された「飴と海鳴り」も郡司が主人公で、少し泣けます。 | ||
推薦者 | きよにゃ |
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共依存状態の関係にあった姉からのゆるやかな支配を逃れ、めまぐるしく時の流れる東京の街から「バクダン」を自ら抱えたままの主人公湯田郡司はあらかじめ時間の流れの滞留したかのような海辺の街へとたどり着く。 欠陥だらけの身体と心を引きずりながら消極的な死に憧れ、怠惰に流れゆく日々の中を生き延びる彼は射精困難と乳汁分泌という男として恥ずべき欠陥を抱え、同僚のアランからは「抱きたい」と性的な誘いを持ちかけられながらも、のらりくらりとそれを交わす日々を過ごす。 「去勢された男」とでも言うべき空虚を抱えた彼は姉との暮らしの中でも「男」でありながらどこか性的に搾取されていた立場であり、そこから逃げ出すために飛び出した先でも「男」としての自身を喪失したままの危うい存在であることが示唆される。 逃げ延びたはずの街でも、かつての姉の姿をした少女の影と、殺してしまったはずの海月の幻影は郡司を捕らえ続ける。 終始停滞した「生」の中を、あやふやに生き延びる郡司を、幻の少女は、七美は、アランは、無理矢理に腕を引っぱるように「生」へと引きずり出す。 自らを手放したい、と消極的な死を望みながらも社会から自分を完全に切り離すことも、姉に与えられた携帯電話とコート、そのポケットに持ったままの不発弾――あめ玉を捨てられない郡司は、社会に埋没することを望む空虚な抜け殻のようだ。 『消極的な死』に焦がれていたはずの彼は、その実誰よりもつながりを断ち切られることを恐れ、相反する位置に存在するかのように見えた「生」に執着していたことを気づかされる。凪いだままのように見えた海は荒れ、巻き起こる波は否応なしに郡司をさらおうとする。 生きることを自ら選んだ彼は、自らを淡く捕らえ、追い続けてきた姉を――その偶像すべてを受け入れ、赦すことを決意する。高らかに鳴り響く玉音放送により、戦争は突如終結する。それでも、それは決してすべての終わりではなく、「平坦な戦場」を生き延びなければいけないという新たな始まりに過ぎない。 夢とうつつを行き来し、幾重にも絡められた仕掛けにからめ取られる物語は読み手を現実と物語のあいだに存在するぽっかりとした「隙間」に引きずり込み、手を離してはくれない。読み手に「向き合う」ことを余儀なくさせる強い引力を持った、圧倒的な物語体験を果たさせる一冊。 | ||
推薦者 | 高梨來 |