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猫ではなかった。少年が一人、シャツにカーディガンだけの薄着で座り込んでいたのだ。知っている顔だった。二学期の初めに転校してきた、西末悠。 |
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私はこの作品を読みながら、物語において「ミステリー」は何のために存在するのだろう、と考えていました。 ここで言うミステリーとは「隠された真実」、つまり「犯人は誰か」「何が起こったのか」に加え、叙述トリック等によって後々開陳される事柄を含みます。 古今東西ミステリー小説は数多あり、謎解きそのものを楽しむものもありますが、ミステリーは作品の最も本質的な部分に光を当てるためのしかけであってほしいと個人的には思っています。 タネ明かしがされて「騙された!」「そうだったのか!」と感じたとき、私はそれまで頭の中で作り上げていた仮説を再検証していきます。何が正しくて何を誤解していたのか。なぜ誤解していたのか。その過程で作品の、または読み手である私自身の本質が鮮明になっていくのが好きなのです。 『嘘つきの再会は夜の檻で』は、まさにそういったミステリーの醍醐味が詰まった作品でした。 本作における最大のミステリーは、もちろん透夏の母が殺された事件の真相ですが、通り魔事件の真相や透夏を巡る人間模様など、小さなミステリーもふんだんに散りばめられており、そのひとつひとつが最大の謎に繋がっていく構成になっています。(こりゃすごい) しかしながら、このお話で一番重要なのはミステリーそのものではなく、その先にある透夏と悠の関係だと思います。 全ての真相が明らかになったとき、私は二人の間にある絆を何と呼ぶべきか、考えてしまいました。 あらすじには「執着の物語」とあります。 作者の土佐岡さんがそうおっしゃるのなら、二人の関係は「執着」なのかもしれません。 でも、本当にそうなのでしょうか? 読者はその言葉を信じるべきでしょうか? 私には土佐岡さんの言葉さえ疑わしく思えてなりません。 何しろこれは、「嘘つき」の物語なのですから。 | ||
推薦者 | 泡野瑤子 |
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Dominantな小説だった。 Dominant、とは、アメリカ・メジャーリーグベースボールにおいて ピッチングを評価するときに、最大級に近い賛辞として 与えられる形容詞である。 日本語では「支配的」と訳される。 Dominantなピッチャーは、あらゆる球種・緩急・コースを使って 打者を思い通りに打ち取る。 打ち取られた打者は、半ば賞賛の意味を込めてちいさな溜息を吐く。 私がこの小説を読み終えたときの溜息は、それと同種のものだった。 この小説は、dominantだ。 300ページかけてあらゆる人物・伏線・設定を使って 読者を思い通りに魅了する。 この小説は、読書を支配している。 こんな小説を書けることは、作家冥利に尽きることだろう。 もちろん著者の土佐岡さんにとって本作は目的地ではなく あくまで経由地点であることを願う。 ベースボールにおいて評価されるのは一試合の成果ではなく、 シーズンを通しての貢献であるように。 この小説をdominant足らしめているのは、 破綻なく作りこまれた構成と、見事に読者の裏をかく伏線であることは疑いない。 それ以上、著者の土佐岡さんがこの小説と真剣に向き合い、 誠実にこの小説を書いたからに他ならないように思う。 そのようにして書かれた小説は幸せだ。 それはまた、読者の幸せにも繋がる。 「嘘つき」が重要な役割を果たす小説だ。 そんな小説を書く土佐岡さんもまた「嘘つき」なのだろう。 しかし「誠実な嘘つき」だ。 だから思う、騙されてよかった。 300ページを一気に読み終えたあと、残ったのはそんな虚脱感と、 ちいさな溜息と、賞賛と、感謝と。 | ||
推薦者 | あまぶん公式推薦文 |
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一筋縄ではいかなさ過ぎる小説……。熱中して、中盤以降は一気に読んだ。 過去に殺人を犯した少年が出所してくる。中学生だった彼に母親を殺され自らも意識不明だったかつての被害者「江波透夏」は院生の女の子に成長し、自分と同じように年齢を重ねているであろう出所してくる「西末悠」と逢おうとしている、それは「約束」をしているから──。 勿論周囲は反対する。そのうえ現在は透夏をめぐると思わせる連続通り魔事件まで起きている──これが現在時点の舞台のあらすじだ。 兎に角人間描写も会話文も魅力的だし、その人物も人物関係も普通ではない。普通じゃない! に尽きるのにそれも魅力になってどんどん読んでしまう。 時折挟まれる過去パートの章があり、構成としては入り組んだ一冊にしているのに難なく読めて、自然な展開の捗りからあらわれてくる事実、事実についつい熱中(して食事を忘れました)。 「透夏」という感情表現に屈折した人物が、心をほどく気配がある部分では彼女に入れ込み、「悠」と「透夏」の関係にも気が抜けない。「透夏」は読み進めていくうちに、可愛いなあ……と思う。 設定だけ話すと凄惨な話のようだが、折々、人物たちが互いに親愛に満ちているのが好きだ。それも不器用で真っ直ぐではない親しさだったりして、そういう部分を読むのが楽しい。 ひとむかし前に「人間が描けていないミステリー」「人間が描けているミステリー」なんて言い回しがあったな、と思い出した。人物も事件も構成も一筋縄ではいかな過ぎなのに作り物の感無く、こんなに魅せるのは、ただただ、上手いんだなあ、と思う。 軽いとは云えない部分もあるのですが、一言で云うなら面白かったです。読み応えのある一冊。夢中になります。 ミステリー・サスペンスが好きなひとに、また人物描写が深い本が好きなひとにならきっとお薦めです。 テキレボ(text-revolutions)アンソロジー:テーマ「嘘」に掲載された掌編の完成形ということで、掌編のみ既読の方も是非。 | ||
推薦者 | 白昼社 |
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八年前、江波透夏の母親が殺害された。犯人は透夏の友人、西末悠だ。 八年前のあの日、の衝撃的な一場面から物語は幕を開けます。 生い立ちや過去に巻き起こった事件が暗い影を落とすことになったためか、透夏は誰に対しても距離を置き、後見人であるという『同居人』との関係にもどこか不穏な影が漂います。そんな中、彼女は八年前に交わした悠との約束を果たし、彼と再会すること、欠けた記憶を取り戻すことを願っています。 しかし当然、事件を知る周囲の人間は透夏の行動を反対し、彼女の周囲で巻き起こる通り魔事件の犯人こそがかつての少年A=西末悠なのではないかと疑いの目を向けます。 八年前と現在――時間軸を行き来する中、親の愛情を満足に受けられず、それでもひたむきに生き抜こうとしていた透夏と悠の出会い、彼らが生存戦略として企てた「計画」の行く末が語られます。 かつての彼らの選んだ選択とそれがもたらした「事件」、再会のその先で語られる透夏の記憶の底に封じられた「八年前の真実」とは―― 不穏で重苦しいテーマを抱えたお話ではありますが、文体には安定感があり、すらすらと夢中で読み進めることが出来ました。 感情表現があまり得意ではないけれど穏やかな人間関係を結び、深く周囲から愛されている透夏を取り囲む個性豊かなキャラクターたちの織り成す流麗な物語運びはとても魅力的。 様々な「嘘」と「愛」が一本の線として流れるように集約していく結末にはどきどきさせられました。 アンソロジー掲載(http://text-revolutions.com/event/archives/5481)の掌編の際から、素直になれないまま互いに手を差し伸べ合おうとする二人に密かにニヤニヤしてしまっていたわたしは「八年前の事件」にすごくびっくりして本編を手に取りました。 不穏な共犯関係を結び、傷つけ合いながらも互いを救おうとした彼らが、結び直した「絆」の形は……読んだ方のお楽しみです。 ひたむきに生き抜こうとする子どもたちの青春小説としても読めるミステリー作品は、個人的な好みかもしれませんが初期の桜庭一樹作品の読者あたりにもピン、とくるかもしれません。 読み応え充分でありながらスルッと読める快作。 | ||
推薦者 | 高梨來 |