「あんたがうちの店をねえ……」 目の前に座る老婆は、かつて老舗呉服屋の主人を務めた女傑。次男ゆえ家業を継がない明が身の振り方を考えた末、思いついた伝手の一つだった。 「あんたの熱意と商才は認めるが、隠居した私の一存で、店を赤の他人に譲るわけにはいかないね」 彼女は少し思案する風であったものの、結局明の頼みを一蹴した。しかし、仕方あるまいと引き下がろうとしたとき、老婆は思いついたように言う。 「まあ、あんたみたいな面白い男を野放しにするのも惜しいからねえ。せめて、親族だったら店を譲るのもやぶさかではないんだが。例えば、孫娘の婿とかね」 老婆の意味ありげな笑みから、その意図するところが窺えた。 「今夜、その孫娘が逃げて来るんだ。意に染まない縁談を父親から勧められていてね、店どころか身代食い潰しそうな男が相手なんて可哀想だろう?」 「そのお孫さんと結婚したら、店の権利くれはるんですか」 「あの子が頷けばね」 門の前で待っていると、老婆の言った通りその娘はやって来た。 背筋を伸ばし少し顎を引いた歩き姿は軸が振れず美しい。絹織の着物の裾を決して乱さず、けれども少し早足で。提灯を持った右手の袖口を、左手でさり気なく押さえていた。その所作だけで、少女がそれなりの躾を受けた娘であることが見て取れる。 しかし、良識ある若い娘は普通、夜半に独りで出歩いたりはしない。きっと家の者に気付かれぬよう抜け出してきたのだ。なりふり構わず大胆な事をするこの娘を頷かせるのは、骨が折れるかもしれないと明は思い直した。 「……どなたですか」 鈴のような声が、警戒を滲ませて夜闇に溶ける。 「そないな顔せんでも。別に悪さしようとは思うてへんよ。まあ、ちょっとご隠居に頼まれてな」 「そうなのですか?」 屋敷に上がり、老婆の紹介を受けても、その警戒は緩まなかった。世間知らずのお嬢さん程度なら耳触りのいい言葉で口説き落とせると侮っていたが、やはり一筋縄ではいきそうにない。 「あなたと結婚する理由がございません」 案の定きっぱりと言い切った娘に対し、遣り口を変えることにした。 「理由がないか、よう考えた方がええよ……醜聞は商いの敵ですやろ?」 こちらの言う意味を量りかねたのか、娘が視線だけでその意味を問う。明は声を低め、囁くように続けた。 「ええの? 嫁入り前の娘さんが、こんな夜更けに出歩いて。『呉服屋の娘さんが』て噂になっても文句は言えへんのとちゃいます?」
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