過去の暗殺事件を調べるうちそれがシーザー暗殺の反復であることを発見する短篇がボルヘスにありますが、神の命令に逆らう同名のモデルをなぞる与名氏の遍歴にもそんな趣があります。もっともボルヘスの原作は、幻想的な結末に変えたイタリアの映画監督と違い、事件が或る合理的な目的のための“作り物”であることを示すので、映画版の原題「蜘蛛の戦略」の方が与名にはふさわしいかもしれません。なにしろ休暇に出たつもりが探偵の手の内であやつられ、行先変更した筈がかえって相手の用意した蜘蛛の巣のような包囲網にはまり込むのですから。この戦略はあまりにも大がかりすぎ“作り物”すぎるのでリアリズムなどはなから無縁ですが、かといって幻想小説でもなく夢落ちでもありません。何もかも見えているガラス張りのバスルームの設計者として現れる与名の、登場以前に隠されていた秘密を読者は知ることになります。実を言いますと私はこの小説の特異な読者です。なぜなら最終稿マイナスn稿を作者からこれでわかるかと見せられて、さっぱりわからず苦しんだからです。手がかりを増やされた結果であるこの小説についてぜひ他の方の感想を聞きたいものです。 ところで与名をあやつる満潮音は彼自身あやつり人形ですね。ゆるく巻いた淡いいろの髪、いつも三つ揃いのスーツ姿で汗もかかない美貌は、日本人離れしたと形容されていますがむしろ人間離れでしょう。年をとらない美しい人形。誰の人形なのかは心あたりがあります。探偵小説の創始者はサクラ二人に騒ぎを起こさせて盗まれた手紙を取り戻し、その継承者は現実にはありえない大がかりな仕掛で写真を取り戻そうとしましたが、満潮音さんの蜘蛛の戦略も(特に非現実性において)これを継ぐものです。還ってきたホームズは自分たちの冒険をfairy storyと呼んだものですが、こうした物語の作者は誰でしょう。ホームズの場合は周知の通り、デュパンの場合はパリで彼を囲っている外国人の小説家です。であれば満潮音の登場する小説を書いているー実際にあった素材から再構成しているーのも、事務所で彼を待つ恋人と考えるのが自然でしょう。こうしたことを言うのは、彼らの物語がミステリという通俗的なジャンルとは無関係に、探偵とその親友との関係も含めて極めて正統的なものであり、鳴原さんが創始者たちの衣鉢を継ぐまっとうな作家だと主張したいからに他なりません。 |