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文学フリマの人気カテゴリのひとつである純文学。 その定義はおそらく多くあって、 あるいはそれは読者の数だけ存在するのかもしれません。 もし純文学の定義を 「ストーリーは皆無でも文章・文体がひたむきに美しいこと」 に与えるとすれば、 この耽美アンソロジー、極めて純度の高い純文学と云えると思います。 とにかく、よく分からない作品が多い。 分かられることを拒む、分かろうとしてはいけないと語りかける。 テーマ"が耽美"ということですから、谷崎潤一郎のような 作品が揃っているかといえば、そうでもない。 これは耽美そのものというより、各人の思う耽美を追いかけようとした アンソロジーなのだと思います。 だから必然的に読者にも投げかけられる。 「耽美ってなんだろう?」 例えば深夜、強めのお酒を減らしながら、 よるべない読後感に浸ることをお勧めします。 | ||
タイトル | 文藝誌オートカクテル2015-耽美- | |
著者 | 文藝誌アンソロジー | |
価格 | 1000円 | |
ジャンル | 純文学 | |
詳細 | 書籍情報 |
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「ことわりさんが大好きです!」と著者の壬生キヨムさんに告白すると、 「世の中にはもっといい短歌があるので、たくさん触れたほうがいい(・w・」と キヨムさんはおごそかにお答えくださいました。 短歌とか俳句。 あれからたくさん読んできてはいるけれど、 やっぱり「ことわりさん」が好きですよ、キヨム氏。 この本の中には、歌の数だけともだちがいる。 そんなに厚い本ではないので人数は少ないのだが、 みんないいやつばかり。 ひとかけものか、いきてもいないのか。 彼ら彼女らと遊んでいるような、ふわふわした歌たちが楽しい。 特に朗読するのが楽しいです。 57577で読んでもいいし、デタラメに読んでもいいし、 読み方で色が変わって面白い。 この本は、とてもいいやつ。 かばんの奥にしのばせて、待ち合わせとかちょっと退屈なときに開きたい、 大切なともだち。 | ||
タイトル | ことわりさん | |
著者 | 壬生キヨム | |
価格 | 200円 | |
ジャンル | 詩歌 | |
詳細 | 書籍情報 |
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「ブルー三部作」第一作。 小説すばる一次選考通過作、と紹介すると分かりやすいかもしれない。 小説すばるは大衆小説の文芸誌である。 (一方、「小説」が付かない方のすばるは、純文学だ) 文章は読みやすく、過度ではない装飾表現が心地よく、 魅力的なモチーフも豊富で、読んでいて楽しい。 智尋と陸と椎名、三人の男子高校生が、 海沿いの町で過ごす日々を描いた小説。 三部作の一作目ということで、彼らは高校一年生。 小説の舞台は時々彼らが出会った頃――まだ幼かった頃に巻き戻され、 それぞれの視点を紡ぎ合わせるように物語が構成されてゆく。 ジャンルとしてはBLということになっているが、 性的表現はあくまで予感させる程度に留められており、 BLを要素のひとつとした純愛小説だと思っている。 智尋と陸の、ほんのささやかな愛し合い。 アレックスと、早苗。 アレックスは三人が飼うことを決めた犬で、物語の中では生の象徴として描かれていると思う。 早苗は陸の母で、物語には登場しない。海に姿を消したからだ。死の象徴とでも云えるだろうか。 物語は、生と死の間を揺れ動く。 ブルー三部作は「戦い」の小説だと思っている。 「ミニチュアガーデン・イン・ブルー」は、その序章。 生と死や、愛することの、生々しい本当の痛みを知らなかった頃の、 青い箱庭の中の美しい話。 しかし三部作を全て読み終えた後、振り返って見てほしい。 例えば陸のお父さんの明貴さんが言う「今このときの俺はお前を愛してたって陸に伝えてくれ」がどれだけの切実さを秘めた言葉であるかを。 | ||
タイトル | ミニチュアガーデン・イン・ブルー | |
著者 | キリチヒロ | |
価格 | 600円 | |
ジャンル | JUNE | |
詳細 | 書籍情報 |
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「ブルー三部作」第二作。 第一作「ミニチュアガーデン・イン・ブルー」の推薦文で 「これは戦いの序章」と書いた。 第二作「夏火」は、戦いだ。 三部作の二作目というのは難しいと思う。 起承転結でいえば承と転。 それ単体で物語を成り立たせようと思うとき、書くことがないのだ。 これはそのまま、高校二年生という中途半端な時期にも当てはまるかもしれない。 何処にも行けずに、ただ焼けつくような衝動だけが身体の中を蠢く。 「夏火」は、智尋と陸と椎名と、新たに登場する昴が 高校二年生を過ごす物語である。 誰しもが必死だった。 必死であるが故に自己ばかりが肥大し、相手を傷つける。 焦り、迷い、自分を責める。 ミニチュアガーデンではもっと簡単でよかった。 何処で間違ったのだろう。 犬のアレックスがいなくなったから? 陸が早苗に似てくるから? 分からない、ただもがくように、戦う。 三部作の中で、一番身を切るような切実さが表現に出た小説だと思う。 あるいは、小説ではないのかもしれない。 ただ魂の発露のようなものが、夏火であり、僕は愛おしいと思う。 | ||
タイトル | 夏火 | |
著者 | キリチヒロ | |
価格 | 800円 | |
ジャンル | JUNE | |
詳細 | 書籍情報 |
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「ブルー三部作」第三作、即ち完結編。 第一作は大衆小説寄りだったが、第三作は純文学寄りだと思う。 それとは関係なく、三部作の中でこれが一番好き。 智尋と陸と椎名と、二部で登場した昴が 高校三年生を過ごす物語。 高校三年生、即ち、将来を選び取る時期だ。 四人の男子高校生たちは、それぞれが等身大の悩みを抱え、 僕たちがそうしてきたようにそれぞれの進路を選んでいく。 僕たちがそうしてきたように――? 三部作の中で、一番手の届くところにある物語だと思う。 僕たちも、高校三年生だった。 今振り返れば、あの頃悩んでいたことなんてちっぽけなのかもしれない。 でもあの時は、それが全てだった。 いま高校生である人に、この物語を読んでほしいと思う。 智尋に、陸に、椎名に、昴に、重ねて読んでほしいと思う。 それと同じくらいの強さで、あの頃高校生だった人に、 この物語を読んでほしいと思う。 進路を選び取るその岐路で振り返り、死にゆく家族に「生きてよ」と言える 陸のどうしようもない強さを、感じてほしいと思う。 ブルー三部作は、智尋と陸が愛し合うBLだ。 完結編の最後、二人は美しい風景の中に消える。 でも陸を一番愛していたのは、父である明貴さんなんじゃないか。 物語の中で一番弱くだらしない明貴さんが大好きだ。 生と死と、自分と世界と、愛し合うことと、 高校三年間を通して描き切ったブルー三部作。 読み終えたときに美しい三つの表紙を見返し、 ただ思うのは、「物語は終わらない」ということ。 僕たちは智尋や、陸や、椎名や、昴と同じように、生きていく。 明貴さんのように、人を愛していく。 | ||
タイトル | はばたく魚と海の果て | |
著者 | キリチヒロ | |
価格 | 1000円 | |
ジャンル | JUNE | |
詳細 | 書籍情報 |
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小説でも映画でも、 それを「好き」ということをちゃんと言葉にしやすい作品と そうでない、どうすれば「好き」ということが伝えられるのか 分からない作品とがある。 何がそれを分けているんだろう、と少し考えて、 ひとつ、ふと思い当たることがあった。 その「好き」が「美しい」という感想に分類されるとき、 それを言葉にすることがどうにももどかしく感じるのだと思う。 「その美しさは君自身の目で確かめてくれ!」なんて 出来の悪いゲーム攻略本の最後のページみたいなことを 言ってしまいそうになる。 でもこの本は、ほんとうに手に取って開いて読んでみてほしい。 「さまよえるベガ・君は」 僕はこれを読んで、「美しい」という感想をもちました。 短歌を小説という形に書き起こした、 いわゆる「解凍小説」というものです。 いつ見ても思うけど、この解凍小説という言葉おもしろいですよね。 57577の言葉に圧縮された世界を 元通りの形に戻しちゃう。 ときどき、それは「解答小説」とのダブルミーニングなんじゃないかと 思うことがある。 短歌で与えられた問いに、それはこういうことだろうと解答を返すんじゃないかって。 9篇からなる短編集。 それぞれにもとになった短歌があって、 各作品の最後に記されてある。 選ばれた短歌がまたよくて、 小説と、そのあとに読む短歌と、二度おいしい。 小説を読んで広がった世界が読後にすとんと圧縮されるみたいな、 なんだか不思議な感覚を味わえる。 僕はこれを恋愛の本だと思って読んだ。 わかりやすい恋愛なんてひとつも出てこない。 ああ、そうなんだ。 そういうふうにややこしくて、わかりにくくて、 淡くて、よわくて、頼りない。 そんな恋愛を、僕たちはきっと知っている。 気づかないうちに。 だからこの本を読んでいると、ふいうちみたいに泣きそうになる。 涙。海。宇宙。 本の表題にもなっている「さまよえるベガ」は宇宙を旅する話だ。 それはなんとなく、小説を読む風景と相似する。 僕たちは決して簡単ではないやり方で、それを求め、 手に入れたなら帰らなくてはならない。 | ||
タイトル | さまよえるベガ・君は | |
著者 | 正井 | |
価格 | 800円 | |
ジャンル | 大衆小説 | |
詳細 | 書籍情報 |
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濃い夜に落ちる眠りのように、世界に浸ることができる詩集だと思う。 世界。 豆塚さんの詩は、とても大きなものが、とても小さく書かれている。 ほとんど四角形に製本された詩集のかたちのように、 区切られた場所にどこまでも広がる世界だ。 開いて、決して読み終わることのない物語を読んでほしい。 朝なんて来ない。 この詩集を開いているかぎり、朝なんて来ない。 「君の柔らかな体は うそをつくことが得意だ」 この一文がいちばん好き。 | ||
タイトル | 夜が濃くなる | |
著者 | 豆塚エリ | |
価格 | 900円 | |
ジャンル | 詩歌 | |
詳細 | 書籍情報 |
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「純文学」というよりは、「純度の高い文学」というべきかもしれない。 お酒でいえばウォッカとかジンとか、そのへんだ。 読んでスカッとしちゃえ。 「キスとレモネード」は、 「緑のまにまに」 「メルトダウン」 「夜に溺死」 「ソーダ水の午後」 の四篇からなる短編集。 なんというか、書き込みが丁寧なのだ。 描かれているものへの愛着を感じる。 僕の好きな都都逸に 恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす というのがあるんだけど、 彩村さんはその蛍のように、彼女がきっと愛している対象のことを 声に出さずただひかるように、丹念に描いている、気がする。 それを読んでいて、美しい、と感じるのだと思う。 「緑のまにまに」「ソーダ水の午後」の二篇が特に好き。 緑のまにまに、は、 主人公とその彼氏とが植物園で過ごす何気ない日々が 淡々と描かれている。 エッセイに近いかもしれない。 萌緑色の夏くさい「あたりまえのこと」がゆっくりと心に染み渡ってきて、 とても豊かな気持ちになる。 「ソーダ水の午後」は、 幻想風のお話。主人公が、ふしぎな女の子と海に行く話。 夏ってね、そうなんだ。すこしおかしくて、生と死の境があいまいになって、 何処かに行ってしまいそうになる。 何処か、というか、行き先は海しかないんだけど。 主人公と女の子が海を見つけたときの描写がとても淡くて、やさしくて、 ああこういうふうに海を見つけたいな、と思ってしまった。 言うてる間にもうすぐ夏が訪れるので、今年はこんな海に出会えるだろうか。 夏が楽しみになる一冊だ。 | ||
タイトル | キスとレモネード | |
著者 | 彩村菊乃 | |
価格 | 500円 | |
ジャンル | 純文学 | |
詳細 | 書籍情報 |
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「わからないことをわからないまま書く」のは、天才の所業だ。 それを言ったら、詩歌は本質的にはむき出しの才能の勝負だと思っている。 「天才という言葉を軽々しく使うな」と大学のころ教授に言われたことがあるけど、 軽々しくない天才が存在するのも事実だと思う。 「才能とはつまり運のことだ」と、ある漫画に書いてあった。 そう考えると、詩歌における天才というのは、言葉に愛されている人のことなのかもしれない。 さて、壬生キヨム歌集「コロシアイ」である。 一言でいうと、不思議な歌集。 でも、とても好き。 どこが好きかを尋ねられると答えるのが難しいのだけど、例えばこの歌。 思い出を作りに行くのだ最初から記憶としてしか残らないもの とても悲しくなってしまう。 「コロシアイ」は、キヨムさんの短歌は、ポップで、かわいくて、 なのにその裏に悲しさがある。 強がっているけど、ほんとうはこわくて、怯えている。 表紙こそ明るくて、短歌も一見明るいのだけど、 中身はどっちかというと悲恋とか別離に近い、と思う。 「コロシアイ」という歌集自体が、そういう弱さをはらんだ ひとりの等身大の女の子の姿なんじゃないだろうか。 そんな話をいつか書いてみたい。 書いてみたいのは、それを読んでみたいからだ。 | ||
タイトル | コロシアイ | |
著者 | 壬生キヨム | |
価格 | 200円 | |
ジャンル | 詩歌 | |
詳細 | 書籍情報 |